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退職の日に 津島小の校長先生

世界でも稀な状況だろう。浪江町役場では現在、3名の校長先生が机を並べて勤務して... - 2014年3月31日

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退職の日に 津島小の校長先生

二本松市 - 2014年03月31日

世界でも稀な状況だろう。浪江町役場では現在、3名の校長先生が机を並べて勤務している。津島小学校・津島中学校・大堀小学校が、原発事故の影響で校長室の機能を役場に移転しているためだ。その中で当初避難所として、約1,200名の住民を受け入れた、津島小学校の大原 政宏 校長先生に話を伺った。

震災当日の学校は、児童全員をスクールバスで待機させ、迎えの保護者に引き渡したり、徒歩通学の子どもは職員が自宅まで送り届けた。校長先生は学校へ宿泊、翌12日に津島小学校を【原発事故の避難所とする】電話があり、7時には町民の到着が始まった。

同16時には各教室の避難者代表が決められめ、毎日3回の会議が職員室で開かれる。この地区は後に放射線の数値が非常に高い地区(現在帰還困難区域)と分かったが、当時は報道以外に原発関係の方や原子炉管理作業に関わる技師が避難者の中にいて、事故の詳細が分かりやすく説明された。3月15日に全員が撤退するまで「町の判断に従い落ち着いて行動する様に」と、校長先生を責任者とした明確な体制でパニックに陥ることはなかった。

その後の学校は、二本松市の東和支所に機能を移して児童の消息情報や問い合わせに追われる。市内避難所の燃料が乏しくなり、津島小学校の地下タンクに残っている灯油を搬出。学校職員は遠隔地に避難していたために、校長先生がポンプ室に入り配管を切断して石油を集めるなど想像を絶する苦労があったに違いない。

暗い話題ばかりではない。浪江小学校は二本松市の廃校、下川崎小学校を借りて再開しており
今春からは、津島小学校が同じ敷地内の旧 下川崎幼稚園に職員室を構え、隣の浪江小学校と同じ校舎で学べることになった。また同町の請戸小学校は、海岸線に近いにも関わらず津波の犠牲者は一人も出ていない。当時の校長先生が、入学当時から津波を想定し1年生から走る訓練や、獣道を避難経路に選んだそうだ。

「緊急時マニュアルに囚われていると行動が制限される」校長先生は、この日退職を迎えた。

(避難所として使われていた津島小学校の写真は、大原 政宏 校長先生提供)

レポート:安田 希代美 |情報レンジャー@福島